武道ライター山里栄樹のブログ

武道ライター山里栄樹の個人的なブログです

巣篭りネット依存の悪影響にご注意めされよ!

 久々にブログを更新させていただきます。

 師走となり、今年一年を振り返る時節がきました。一年を振り返ると「惨々な一年だったよな‥」と、あらためて深く感じ入っております。さらに冬の到来により流行り風邪‟新型コロナ感染拡大”の第三波到来、日本各地で猛威を振っておりまして、まだまだ「明けない夜・・」が続くのでありますな‥ 

 

 さて、今回は今更ながらでありますがコロナ禍で「巣篭りネット依存の悪影響」について、小生の思うとこを語ってみたいと存じます。

 気晴らしの外出もままならず、家に巣篭って過ごすことを強いられる昨今、テレビよりインターネットに見入ってしまう中高年の方々が急増しておられるようですな。コロナ禍を機にニュースや時事解説などはテレビや新聞よりもネットニュースやまとめサイトで広く浅く眺めるといったスタイルに、いつの間にか変わってしまったということも多々あるようです。老若男女を問わずスマホやパソコンが手元にあれば、何の気なしにネットを閲覧している依存症ともいえる習慣的行動が巷に蔓延してますね。

 かくいう小生も、テレビのバラエティー番組よりyoutubeのおもしろ投稿動画を観ることのほうが多くなってます。武道専門誌のライターという紙のメディア出身の物書きであります小生ですが、今や文筆活動の場をネットへほぼ移行しつつあります。一か月半前に雑誌編集部に入稿した記事原稿が毎月発売日にやっと誌面で読める月刊誌に比べ、ブログ記事は執筆完了とほぼ同時にリアルタイムでネット上に反映されるのでありまして、これは物書きにとって病みつきになる快感といえるものでありますな~ 

 マイナス思考になりがちなコロナ禍の昨今、ネット上では様々な風評・風聞・異説・伝説・デマ・フェイクニュースなどなど人心を惑わす“要らない情報”が氾濫しております。なかには真偽の判別がつかない欺瞞情報のようなものも散在し、その道のプロや専門家でなければ情報精査が困難とさえ言われております。こうした“要らない情報”に惑わされるのは若年世代の若者ばかりとは限りません。知らず知らずのうちに分別ある中高年諸氏がその影響下にさらされていることが多々あります。

 小生とは四半世紀の付き合いがある知人の某氏も、このコロナ禍でテレビや新聞・雑誌など既存のメディアと縁遠くなり、スマホやパソコンでyoutube観賞に耽り、FacebookTwitterをフォローするようになり、徐々に陰謀論信奉者に変貌しました。その某氏、東北地方の出身で郷土愛が人一倍強く、歴史物や伝記に感化されやすく、酒に酔うと大言壮語を吐き国士を気取って悦に浸るという今時珍しい気質。ネット依存の悪影響で取扱いに困る迷惑なオジサンと化し、知人の間で大いに困惑しております‥ 

 一個人に膨大な情報を提供してくれる便利なネットには中毒性と依存性が潜在しており、それを利用する者は知らず知らずにその影響下に置かれてしまいます。とは言え、ネット無くして現代の社会は成り立たず、ネット依存の悪影響と共存しながら日々これを活用しなければならないのであります‥

 コロナ禍の真っ只中ではありますが、人と人とのリアルな触れ合いを極力避けて自宅に長く巣篭っていると、人は心のバランスを損なって偏った思考や行動に陥ってしまいがちです。まずは確りと自身の中心感覚を研ぎ澄まし、物事の真贋を見極める正眼を養うことに努めましょう。特定の物事のみに囚われることなく、どちらにも偏らずに均衡を保って何事にも平等に対応することが肝要かと存じます。

 身体は巣篭っていても、心は澄み切った冬の天空を自在に羽ばたいていたいのでありますな~

 

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アメリカの陰謀論信奉者の集会の様子

こうした社会現象的なムーブメントには、ネット依存の悪影響が根深く関わっている

 

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『山里栄樹の男物和装ブログ』アクセス総数290,000突破!同好諸氏の皆様、御礼申し上げます。

  ブログを更新いたします。

 さて、2か月おきの定期報告となっておりますが、小生の冠ブログであります『山里栄樹の男物和装ブログ』が総アクセス数290,000を突破いたしました。

 このブログを同好の皆様にご活用いただきまして、あらためて御礼申し上げます。

 生家の老朽化による建て替え工事に伴う取り壊しでの多大な喪失感・慣れぬ仮住まいでのカルチャーショック、これが続いて思考回路が麻痺していた小生でありますが、YOUTUBEでYOASOBI幾多りら(イクラ)ちゃんの楽曲を聴いて、なんとか正気を保っております。シンガーソングライターとしてのオリジナル楽曲や定番カバー曲をアコーステックで切なく歌う小柄な美少女歌姫、中年おじさんたちのpureな心をわしづかみされるのですな~ 

 最近、近所のリサイクルショップで正絹の藍染亀甲柄アンサンブルを破格の激安で入手しました。USED品でも数千円で売り買いされている高評価の男物和装品が、なんと消費税込み880円‥ これには、「掘り出し物Get!」と喜ぶ前に、今の時代って「物の価値感覚が壊れてきたのでは?」という得体の知れない衝撃が走りました。

 とまあ、いろいろありますが、小生も大人気の鬼滅セリフ「全集中の呼吸」で日本伝統の文武カルチャーを殺伐とした今世に振興していきたいと思います。

 

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『山里栄樹の男物和装ブログ』の「幕末写真に見る男物和装」掲載。壱萬円札の肖像として親しまれている福澤諭吉の若き日の雄姿。

 

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山里、しばし仮住まい‥

 お待たせしました。久々のブログを更新いたします。

ただいま小生は、”仮住まい”をしております。小生は、二十年前に持病が悪化したため、郷里の生家に戻って療養生活を送ることとなり今に至っております。その生家も経年の老朽化により取り壊して建て替えることとなりました。これは亡父の遺言でもありました。末期癌を患っていた亡父が病床で「近いうちに家を新しく建て替えるからな」と、さりげなく話していました。

 生家を取り壊すにあたり、家財の整理と処分に相当な労力を費やしました。亡父の遺品整理、母の終活、小生の幼少期から少年時代の思い出の整理‥生家を取り壊すことを機に、こういったことを一気に行わなくてはならないのであります。

 小生にとっては人生における”グレート・リセット”ともいえる実に衝撃的な出来事なのでありました。まあ、リセットして再起動するまで、ちょっと時間がかかるような感じがしました。

 解体作業は僅か2・3日で終わり、生家は消滅して更地と化しました。それを目の当りにすると、凄まじい空虚感で打ちのめされました。と同時に、亡父の気持ちを身近に感じたのであります。「よし、新しく建てろよ」と、亡父の呟きが聞こえたような気がしました。

 ということで、ここ数か月は生家の家財整理に追われていましたが、仮住まいで心機一転して新たな生活環境で執筆作業に取り組んでおります。

  

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ここまでの古民家ではないが、小生の生家は半世紀以上の築年数

 

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楽天ブログ『山里栄樹の男物和装ブログ』アクセス総数270,000突破!

小生の冠ブログ『山里栄樹の男物和装ブログ』が、7月25日にアクセス総数270,000を突破いたしました。ご高覧いただきました皆様に厚く御礼申し上げます。

 また7月24日には、一日でのアクセス数としては過去最多の327アクセスを記録しております。当ブログでも6月3日にアクセス総数260,000到達をご報告いたしましたが、わずか1か月半ほどの間に10,000を越すアクセスが集中することに小生も少々驚愕しております。

 もっともアクセスが集中している記事は7,500アクセスの「下級武士の服装(足軽武家奉公人)」です。これを受けて、6月中旬に「戦時の下級武士の服装(足軽武家奉公人)」を制作し掲載いたしました。今後もアクセス数の多い記事の続編生地を制作していきたいと存じます。ご期待ください。

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楽天ブログ『山里栄樹の男物和装ブログ』に掲載中の最新記事「戦時の下級武士の服装(足軽武家奉公人)」添付された足軽の絵。

江戸時代の図解本『雑兵物語』より

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“先憂後楽”今はまだ憂るべき時なり!

「令和2年7月豪雨災害」で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

さて、街中ではコロナ禍での自粛生活から解放されたかのように夏の行楽シーズンを楽しもうとしております。観光をはじめ様々な接客サービス業に従事される方々にとっては客足が戻り、なんとか稼業が営めるようになりつつあります。しかし、禍の全てが過ぎ去ったわけではないのでありますな・・まだまだ疫病は退散しておらず、天変地異による自然災害は次々と押し寄せるのであります。

 小生の大好きな言葉に“先憂後楽”というものがありまして、これは中国古典『岳陽楼記』の一節に「士はまさに天下の憂いに先立ちて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむべし」に由来する故事であります。北宋の忠臣と讃えられた范仲淹が、国を治める為政者の心得とはこうあるべきだと説いた言葉で、現代に当てはめるなら社会を支える必要欠くべからざる職業に従事されている方々(エッセンシャル・ワーカー)は“士”であり、世人の憂いより先に憂いて備えるべし!ということなのであります。転じて「他者より先に苦労や苦難を体験した者には、必ず後で安楽が訪れて報われる」とも言われています。

 世の中がバブル景気に沸き立っていた90年代、街やリゾート地では多くの人々が豪遊三昧に明け暮れていました。若き日の小生は“先憂後楽”を座右の銘に、夜昼の別なく土日祝日や連休はおろか盆暮れ正月も社会機能維持者の一人として日夜働いておりました。きらびやかに輝く経済活動の表舞台の陰で、小生は裏方の一人となって日々黙々と社会を支えていたのでありますな。

 とはいっても、それなりに快適な日常を送っておりました。シフト勤務なので平日の公休、盆暮れ正月の大型連休は避けて休暇を取り、通勤時間もピークをずらして満員電車に乗ることもなく、人口過密な大都会で暮らしていても人と人とが引き締め合う息苦しさは感じませんでした。

 “先憂後楽”での生活スタイルは、ストイックに我慢を強いるものではなく、人々の動きのオフピークを上手に活用するということなのでしょうね。外出するときは四六時中マスクを装着するより、街行く人が極力少ないときに外出し、直に肌で外気を感じて快活に過ごすのが最も健康的なのです。

 人々が生活する世の中には「気が淀み・滞る時空間」が散在しています。そこを避けて日々快活に過ごすことができるように、自分が持てる様々な感覚センスを日夜研ぎ澄まして備えるのが武道武術の修行なのでありますな~

まだまだご油断召されるな!残心・・

 

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心形刀流剣術の演武 不測の事態に応じる「残心」が肝要!

 

 

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武道武術での第三の眼、イメージでの三人称視点;後編

 さて、前回では神秘行での“第三の眼”には、学習と体験をもとに構成されたイメージが大きく関与していることに言及しました。後編では、イメージの視点についてお話していきます。

【コンピュータゲームでの一人称視点と三人称視点】

 最近のコンピュータゲームは、リアリティーを追求した仮想空間でプレイが行われております。展開するストリーの中でプレイヤーが登場人物のキャラクターになりきってプレイするスタイルが主流のようです。オンラインで複数の参加者が各自に割り当てられたプレイヤーキャラクターを操作して、お互い協力しあって架空の試練を乗り越え目的を達成するロールプレイングゲームに人気があります。小生、コンピュータゲームはあまり好きになれないアナログ人間なのでありますが、プレイヤーの視点をあらかじめ設定できるという画期的なシステムに注目しました。

 まずは、一人称視点(ファースト・パーソン・ビュー)というのがあります。普段の現実世界と同じ自分の目線で臨場感のあるプレイをゲーム空間で楽しめるものです。リアリティーがあり過ぎて、自分自身がゲームの世界に入り込んだ様な錯覚に陥りやすいのですな。最近では、VRゴーグルを使って仮想現実空間を徘徊して臨場感だけを貪るというアトラクションもあるようです。

 そして、三人称視点(サード・パーソン・ビュー)では、画面の中で行動するキャラクターそのものを操作してプレイします。キャラクターが自分の分身のような存在なので感情移入が起こりやすいと言われています。画面での視界が広くなり、ゲーム空間での状況把握が容易で、一人称視点よりも操作性が高くなります。プレイヤーが親身になってキャラクターを導いていくといった感じですね。

 ちなみに、一人称視点や三人称視点というのは文筆の世界でも活用されておりまして、日記やレポートなどのドキメンタリーは一人称視点で、小説や戯曲などのフィクションは三人称視点で執筆するのが常道となっております。 

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TPS=サード・パーソン・シューティングゲーム 臨場感のある一人称視点よりも三人称視点のほうが操作性が高い

【肉眼の一人称視点からイメージで見る三人称視点へ】

 武道武術の練達者のように、特定の技能に精通すると知らず知らずのうちに肉眼の一人称視点からイメージで見る三人称視点へ変換していることがあります。これは視点を広く保って物事を全体的に捉え、先々の状況を想定しながら余裕をもって行動するという習性が身についていくものです。途中、予想外のことが起きても冷静に対応策を講じて適切に処理していくことが可能となります。初心者は一人称視点で行動することが多く、目先のことや部分的なことに気を取られて突発的な事態に対応するのが難しいのでありますな。

 イメージで見る第三者視点とは、実体として行動している自分を後方上空からもう一人の自分が監視して遠隔操作するという自分自身を継続的に客観視することなのです。まあ、自分自身を上から目線で見ているとも言えますな。予想外の突発事態が発生しても、それを目の当たりにしている実体の自分よりも冷静に判断ができる立場のもう一人の自分を意識の中に存在させることなのです。

 諺の岡目八目(おあかめはちもく)、囲碁をわきから見ていると実際に打っている人よりも八目も先まで手を見越すと言われております。当事者よりも第三者の立場でいるほうが情勢や損得などを正しく判断できるのでありますね。

【イメージでの第三者視点(三人称視点)を開眼させるには】

 イメージでの第三者視点を開眼させるには、定められた複数の動作を手順通りに繰り返すというトレーニングが効果的です。武道武術では剣術の組太刀などの形稽古が最も適したトレーニングになります。まずは、見取り稽古で熟練者が行う形の手順を記憶に留め、実際に動作を繰り返してトレースを重ねます。指導者に動作の手直しをしてもらい、修正を重ねていくと連続した動作のイメージが出来上がります。そうするとイメージの映像の中に、動作を行っている自分の後ろ姿が再生されています。

 剣術の組太刀では、上位者で攻撃側の打太刀と、その攻撃に対応して技を修練する仕太刀によって形稽古が行われます。仕太刀に熟達すると、立場を入れ替えて打太刀としての修練も行います。これによって打太刀としての自分を三人称視点で見ることのほかに、仕太刀である相手側の三人称視点に成り代わることも可能になります。組太刀に精通すると、多次元的な三人称視点がイメージのなかで縦横に展開します。イメージの中で自分の後ろ姿が見え、さらに相手の頭越しに自分の正面が見えてくるのです。

 ここで重要なことは、形稽古では部分的なことに固執せず、肉眼で相手を見るときは相手の全身をシルエットの塊としてボヤっと眺めるだけです。木刀や刃挽き刀などの切先を注視することなく、相手を見透かして背景の景色が見えてくるような感じです。これは遠くの山を望むような“遠山の目付”と呼ばれるノウハウです。つまり、肉眼での一人称視点のウエイトを極力下げて、その分イメージで見る三人称視点のウエイトを上げていくということなのです。

 また、イメージでの第三者視点には、意識(顕在意識と潜在意識)や呼吸という要素とも深く関わっております。武道武術のみならず実社会において、自分自身を見つめなおすことにも繋がっています。

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イメージで見る三人称視点(第三者視点)の開眼には剣術の組太刀=形稽古が最良のトレーニング     念流剣術の組太刀(明治神宮西芝地にて)

 

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武道武術での第三の眼、イメージでの三人称視点;前編

コロナ禍での社会不安も日々和らいでいくように感じられる六月の下旬。読者の皆様、息災にお過ごしでしょうか。

 さて、今回は小生の本業であります武道ライターの研究テーマでお話を進めていきたいと思います。

 かって小生は、武道武術と併行して神秘行の研究を行っておりました。古神道陰陽道修験道、神仙道、禅、チベット密教、黒魔術などなど宗教色が濃厚で精神世界とリンクしたジャンルであります。これらは武道武術との結びつきも強く、心技体での“心の修養”に関連性があります。

 まあ、武道武術を深く極めようとすれば、こういった神秘行と何がしかの関わりを持たざる得ないのであります。小生の座右の銘に「君子、怪力乱神を語らず」という『論語』の一節がありまして、「説明のつかないこと、不確かなこと、人心を惑わし誤解が生じやすことは口にしない」というのが小生の物書き稼業のスタンスなのであります。

 しかし、科学万能な現代であっても、理屈では説明できないことは有り余るほどありまして、そうしたことに全く関与しない訳に行かないのが武道ライターというお仕事なのであります。とりあえず、世人が納得するような説明を試みるのが小生の役目なのでありますな。

【第三の眼、イメージでの感知ってこと】

 ということで本題に入りますが、神秘行では「第三の眼=サード・アイ」というものがあります。

これは「内なる心の眼」と言われ、サードアイを開眼させると神秘的な効果が期待できるとされています。肉眼とは全く異なる知覚・感覚器官で、“第三の眼”が開眼すると物事の本質や真偽、自己に秘められた新たな才能が開花するとされています。一説に、第三の眼は眉間の上あたりとされ、脳の松果体とも密接な関係があると考えられています。

 ここまでの説明では、怪しいカルト教団自己啓発テキストの一節みたい・・と思われる読者もおられるでしょうね。正直言って、小生も全く同感であります。まあ、物事を知覚する感覚・センスというものは、人の肉体に宿った五感だけではないということなのですな。物事の本質や真偽を見透かす“心の眼”というものは歳を重ねるごとに自ずと備わってくるのでありますね。

 人間がある一定の空間のなかにある物体の存在を感知するのは、肉眼の視覚によるところが大であります。それが自動車などの動く物体であったり動植物の生物である場合は、視覚以外に聴覚や嗅覚が導入されて知覚されてます。さらに、それが何であるか認識するためには脳に記憶された知識という情報が必要となります。

 知識の映像がイメージとして再生され、肉眼で見た実体映像と対比して、今見えているものが何であるかが認識されます。同時に音や匂いもイメージによる再生と対比して同様に認識されます。つまり、事前に学習や体験で得た知識に基づくイメージの再生によって、人は物事を感知しているということになります。要すれば、受動的に見えることと、能動的に見ようとすることは異なり、物事の見え方にはイメージの支えが必要不可欠ということなのでありますな。

 「見識を広めると、物事の見え方が変わる」と、先人たちは学習と体験によって培われる人間の豊富なイメージ=想像力の重要性を説いてきました。体験的な学習を繰り返し積み重ねることで“イメージ力”が増大され、視覚で見た実体の一部分だけで瞬時に全体像が顕わとなります。修行という過酷なトレーニングでイメージ力が強大になれば、まさに“第三の眼”と呼ぶに相応しい知覚器官といえます。

 

※後編に続く

 

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神秘行での第三の眼とは、洗練されたイメージ力!

 

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