武道ライター山里栄樹のブログ

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武道武術での第三の眼、イメージでの三人称視点;前編

コロナ禍での社会不安も日々和らいでいくように感じられる六月の下旬。読者の皆様、息災にお過ごしでしょうか。

 さて、今回は小生の本業であります武道ライターの研究テーマでお話を進めていきたいと思います。

 かって小生は、武道武術と併行して神秘行の研究を行っておりました。古神道陰陽道修験道、神仙道、禅、チベット密教、黒魔術などなど宗教色が濃厚で精神世界とリンクしたジャンルであります。これらは武道武術との結びつきも強く、心技体での“心の修養”に関連性があります。

 まあ、武道武術を深く極めようとすれば、こういった神秘行と何がしかの関わりを持たざる得ないのであります。小生の座右の銘に「君子、怪力乱神を語らず」という『論語』の一節がありまして、「説明のつかないこと、不確かなこと、人心を惑わし誤解が生じやすことは口にしない」というのが小生の物書き稼業のスタンスなのであります。

 しかし、科学万能な現代であっても、理屈では説明できないことは有り余るほどありまして、そうしたことに全く関与しない訳に行かないのが武道ライターというお仕事なのであります。とりあえず、世人が納得するような説明を試みるのが小生の役目なのでありますな。

【第三の眼、イメージでの感知ってこと】

 ということで本題に入りますが、神秘行では「第三の眼=サード・アイ」というものがあります。

これは「内なる心の眼」と言われ、サードアイを開眼させると神秘的な効果が期待できるとされています。肉眼とは全く異なる知覚・感覚器官で、“第三の眼”が開眼すると物事の本質や真偽、自己に秘められた新たな才能が開花するとされています。一説に、第三の眼は眉間の上あたりとされ、脳の松果体とも密接な関係があると考えられています。

 ここまでの説明では、怪しいカルト教団自己啓発テキストの一節みたい・・と思われる読者もおられるでしょうね。正直言って、小生も全く同感であります。まあ、物事を知覚する感覚・センスというものは、人の肉体に宿った五感だけではないということなのですな。物事の本質や真偽を見透かす“心の眼”というものは歳を重ねるごとに自ずと備わってくるのでありますね。

 人間がある一定の空間のなかにある物体の存在を感知するのは、肉眼の視覚によるところが大であります。それが自動車などの動く物体であったり動植物の生物である場合は、視覚以外に聴覚や嗅覚が導入されて知覚されてます。さらに、それが何であるか認識するためには脳に記憶された知識という情報が必要となります。

 知識の映像がイメージとして再生され、肉眼で見た実体映像と対比して、今見えているものが何であるかが認識されます。同時に音や匂いもイメージによる再生と対比して同様に認識されます。つまり、事前に学習や体験で得た知識に基づくイメージの再生によって、人は物事を感知しているということになります。要すれば、受動的に見えることと、能動的に見ようとすることは異なり、物事の見え方にはイメージの支えが必要不可欠ということなのでありますな。

 「見識を広めると、物事の見え方が変わる」と、先人たちは学習と体験によって培われる人間の豊富なイメージ=想像力の重要性を説いてきました。体験的な学習を繰り返し積み重ねることで“イメージ力”が増大され、視覚で見た実体の一部分だけで瞬時に全体像が顕わとなります。修行という過酷なトレーニングでイメージ力が強大になれば、まさに“第三の眼”と呼ぶに相応しい知覚器官といえます。

 

※後編に続く

 

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神秘行での第三の眼とは、洗練されたイメージ力!

 

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