武道ライター山里栄樹のブログ

武道ライター山里栄樹の個人的なブログです

山里栄樹の男物和装ブログ アクセス総数600,000に到達!

   いつも当ブロフをご覧いただき御礼申し上げます。

  さて、小生の冠ブログとして13年間にわたり制作してまいりました『山里栄樹の男物和装ブログ』が、令和8年6月17日にアクセス総数6000,000に到達いたしました。

  同ブログは、小生の趣味であります男物和装をテーマに企画制作を練り、2013年6月に楽天ブログで開設しました。男物和装に関する歴史的な参考資料として国内外の多くの和装愛好家にご高覧頂いております日本の伝統的な服飾文化ブログとなっております。

  小生は本職の武道ライターというより、副業の和装研究家としてネット界隈で広く認知されているようです。

武道ライターを表看板にネット界隈で活動する還暦の小生、今年で文筆稼業も30年目を迎えます。

  1996年春に勤めていた警備会社を依願退職、武道専門誌の外注ライターとして文筆稼業をスタートしました。昔から「三文文士」の異名どおりスズメの涙ほどの僅かな収入、生計を支えるために幾つかの副業を掛け持ちしながら細々と取材執筆を続けてまいりました。

  今でも様々な副業で細やかな収入をかき集めて、なんとか日々食い繋いでおります。

  これまで同好諸氏とともに立ち上げた古流武術文化研究會からの多大な支援のもと武道ライターの活動を継続させていただきました。小生の文筆家30周年の節目に『山里栄樹の男物和装ブログ』がアクセス総数60万に到達しましたこと、同ブログを愛読される皆様に深く感謝申し上げます。

 

同ブログ記事「幕末写真に見る男物和装」に掲載の若き日の福沢諭吉の和装写真。幕府の遣欧使節の一員として、ヨーロッパに渡航したときの肖像写真とされている。奇しくも新壱万円札肖像の渋沢栄一も第二回の遣欧使節の一員として渡欧。近代日本の経済は欧米列強の強い影響下に振り回され、今後も暫く続くであろうという儚い運命なのですな‥

 

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小生の不思議な夢の話;第3話「黄泉の道場で亡き師に不義理と非礼を詫びる」

 いつも当ブロフをご覧いただき御礼申し上げます。
 今回は『小生の不思議な夢の話』第1話の続編を綴ります。
 小生、自身が武道武術の伝習を止めて早や十年が経ちます。それは、一流一派を極める伝習者としてではなく諸流諸派を考察する研究者としての立場を明確化するために避けられない必須の離脱でありました。

 武道ライターを生業とする小生には「武道武術の実習は、あくまでも経験としてのみ許される‥」のであり、特定の流派・稽古団体に所属することは好ましくないという考えに至ったからであります。

【第一夜の夢;ある日曜の早朝、とある体育館で亡き師と会う】
 さて、不思議な夢の話を進めます。夢の中で小生は、日曜の早朝から開館している体育館を訪れました。武道武術の伝習から離脱して以来、運動不足を解消するため何か新しくスポーツでも始めようかと思いつき体育館を訪れたのであります。
 なんと、体育館の玄関ロビーで亡き師と出会いました。「今日は稽古があるから、道場に来ないか」と亡き師は小生を誘ってくれました。「それでは稽古着を持参して伺います」と快諾しました。時計を見ると午前8時を少し過ぎた頃でした。ほどなく夢から目覚め、時計を見ると午前8時20分頃で、その日は日曜でした。
 小生が通っていた古巣の道場は、毎週日曜の午前中に稽古が行われていました。「たまには道場に顔を出して、同門の仲間と親交を温めておけよ」という亡き師からの示唆なのだろうと小生は考えました。

【第二夜の夢;黄泉の道場を訪れる】
 その日の夜、いつもより少し早めに寝床に入り深い眠りにつきました。夢の中で小生は古い木造の道場に居ました。この道場は幾つかの稽古団体が共同で利用しているようでした。先に来て稽古していた某古流武術の伝習者たちが、ちょうど稽古を終えて一息ついていました。
 道場は四十畳ほどの畳敷きで、正面の左壁には門弟の名札が横一列に並んでいました。入門には名札が必要であると小生は思い付き、傍らにいた亡き師に尋ねました。亡き師は「名札は、ここの道場主が用意してくれるのだが‥」と、なぜか詳細は濁していました。
そうこうしているうちに、亡き師の指導する杖術の稽古生たちが続々と集まってきます。
 そのなかに研究會の会員O氏がいました。O氏は小生と同世代で歳も近く、亡き師の会派とは異なる杖術の同門でもありました。O氏は武道武術の修行はもとより密教や山修行など神秘行にも造詣が深く、若い頃は東南アジアで南伝仏教の僧侶として一時出家していたという希少な経験のある方です。おそらく小生と同じく縁あって現世から黄泉の道場を訪れているようでした。
 小生は道場に常備している借り物の杖を携えて、亡き師の前に着座して師弟の礼を行います。このとき、小生は師への不義理と非礼を心から詫びました。亡き師は「そうだね~ いきなり道場に来られなくなっちゃったからね‥」と、ご自身のこともふまえてこう呟いておられました。
 小生は三十歳代半ばで持病を悪化させ療養のため武道武術の修行を中断、その後も帰郷して闘病生活を余儀なくされました。いつかは古巣の道場に戻り、師の指導のもとで修行を再開したいと願っていました。
 亡き師は、逝去される数日前まで普段と変わらず古巣の道場で門弟に稽古指導をされていたとのことでした。今思い返すと、亡き師の「いきなり道場に来られなくなっちゃったからね‥」という呟きに深い意味を感じます。
 ほどなくして小生は夢の中から目覚めました。「ちゃんと師匠に詫びることができたな‥」と、心の中に閊えていたものが一気に解消されたのでありました。


【不思議な夢の考察】
 というのが小生の見た不思議な夢の全容であります。

 二夜連続して2部構成で不思議な夢を見るというのは、これまでにない珍しいパターンであります。また、スピリチャルな能力を有する研究會会員の方が登場するという件も、小生の不思議な夢での特徴であります。
夢の中の黄泉の道場は、おそらく過去に実在していた有名な某道場だと思われます。古い時代のため小生は訪れたことはないのですが、道場の造りや間取り・畳敷きであったなど古参の先輩から聞いていた通りで、その某道場であろうと思われます。
 道場の左壁に並んでいた門弟の名札は、現世では既に故人となった方々のものであろうと思われます。つまり、位牌や卒塔婆などに類するもので、亡者でなければ黄泉の道場に入門できないのでしょうな。(もしも、そこに生者が名札をかけてしまったら‥恐)
 結論を申しますと、この夢は小生の心のなかで師匠の逝去を受け入れるために見るべき夢であったと強く感じました。

  ごくごく近しい関係の人が急逝すると、誰しもその事実は受け入れ難いものです。しかし、時間はかかっても何処かの時点で、それを受け入れて前へ進んで行かなければならないのが人の常道なのであります。亡き師は、そのことを教え諭してくれたのですね。
 固い師弟の縁と絆に結ばれた大恩ある亡き師に感謝、心よりご冥福を祈ります。

 

 国学の没後門人を描いた絵;

国学者の平田篤胤は、夢の中で既に他界している国学の祖の本居宣長に出会い師弟の礼を行って門人となったといわれる。そのため篤胤は宣長の没後門人とされている。その道統を忠実に受け継ぎ、さらに国学を隆盛させ尊皇思想の礎となる。それが明治維新の精神的な原動力となり、日本の近代国家としての発展へと繋がっていく。

 

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小生の不思議な夢の話;第2話「繰り返される夢の中での目覚め・重複夢」

 いつも当ブロフをご覧いただき御礼申し上げます。

 さて、今年から立ち上げました新企画『小生の不思議な夢の話』第2話を綴ります。

 夢の中で眠ってまた夢を見ることを「重複夢」と呼ばれています。これは日常の過度な疲労とストレスに起因して見る夢とされています。

蓄積した疲労を回復してストレスを解消するために夢の中でも、できるだけ多くの睡眠を確保しようと潜在意識が貪欲になって起きる不思議な夢ともいえます。

 確かに小生が重複夢をよく見てぃた年代・時期は、過酷な労働を強いられていた若い頃でした。しかし、年を重ねるごとに夢の中の夢でさらにまた夢を見るといった重複度合いが強くなり、単に疲労やストレスだけが原因でないように思えます。過ぎ去った昔を振り返って、何かやり残していることはないか潜在意識が確認しているような気がします。

【目覚めると、そこは昔住んでいた自室の寝床‥】

 朝目覚めると、そこは小生が若い頃に勤めていた会社の独身寮の自室でした。「これは夢の中だな‥」と、すぐに小生は直感しました。夢の中で夢であることを自覚して見る夢(明晰夢)です。「さて、夢の中の懐かしい独身寮の近所を散策してみるか~」と、小生は寝床から起きて近所へ散歩に出かけます。当時住んでいた独身寮は東京の世田谷にある閑静な住宅街にあり、夢の中では概ねの景色が再現されていました。

 そして、小生は布団のなかで目覚めます。そこは神奈川県川崎に借りていたアパートの自室でした。「よく寝たな~ 今日は特に予定なかったよな‥」と、フリーランスの雑誌記者であった小生は起きて朝のルーティンを行います。そのうち小生はなにか違和感を覚え、「もしかして、これって夢?」と気づきました。

 そして、次に目覚めたのは古い実家の自室のベッドの中でした。「ああ、重複夢が続くよな‥」と、実家で療養生活を送っていた当時の小生は同じような重複夢をよく見ることがよくありました。そして、小生は布団から起き上がろうとすると、なぜか身体が思うように動きません。「うぁ、金縛りだ‥これって、怪奇現象?違う!今もまだ夢の中なんだ~」、エンドレスに継続する重複夢に恐怖を感じた小生は夢の魔境から脱け出そうと夢の中でもがき続けました。

【不思議な夢の考察】

 というのが小生の見た不思議な夢の全容であります。この夢は見た年代・時期により目覚める場所など多少の差異はありますが、同じパターンで構成された重複夢を過去に何度となく見ています。

 夢の前半では夢であることが判る明晰夢ですが、夢の中で何度も目覚めを繰り返しているうちに現実なのか夢なのか判然としなくなっていきます。「このまま永遠に夢の世界に閉じ込められてしまうのでは‥」という恐怖がともないます。

「 夢から目覚めると、そこはまた夢の中‥それを繰り返せば最後は現実に目覚めるのでは?」とも考えられますが、逆に目覚めた夢はさらに深い夢の世界のように感じました。

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小生の不思議な夢の話;第1話「黄泉のカフェで亡き師と語らう」

  いつも当ブロフをご覧いただき御礼申し上げます。

 さて、今年から新たな企画を立ち上げました。小生が今まで見た不思議な夢の話を同好諸氏の皆様と共有したいと思い立ち、試みに新企画『小生の不思議な夢の話』を綴ります。

   武道武術と精神世界とは切っても切れない関係にあり、昔から古流武術には流祖が夢の啓示で極意に開眼したという伝説が多々あります。神道夢想流や夢想神伝流など流名に「夢」を用いたものも多く、武道武術の修行には潜在意識や深層心理の探求が欠かせないのでありますな~

【2025年師走に届いた喪中葉書】

 昨年暮れ、いつものように年末の雑事に追われておりましたところ、郵便受けに三通の喪中葉書が届きました。一通目は旧知の同輩からで、従弟の喪中につき新年の挨拶は失礼させていただきたいとのこと。もう一通は古流武術文化研究會の会員N氏からで、近親者の喪中につきとの旨。最後の一通は春に急逝された師匠の奥様からの喪中葉書でありました。

    師匠の訃報は、11月に演武会取材で上京した際に立ち寄った古巣の道場で知りました。亡き師との対面は、道場の奥に安置された遺影でした。ただただ泣いて不義理を詫びるのみの小生でした。あらためて亡き師の喪中葉書が届くと、感傷に浸るばかりでありました‥

  今思えば、11月の取材出張での上京も亡き師の導きのまま赴いたような気がします。

【黄泉のカフェで亡き師と語らう】

 その数日後、小生は不思議な夢を見ました。

夢の中で小生は、とある大きな演武大会の取材に参加していました。いつものように会場の報道席で忙しくカメラ撮影に追われています。この大会取材に研究青会員のN氏が同行していました。ここ数年は年賀状のお付き合いしかありませんでしたが、N氏とは洞門の稽古仲間でもあり、以前は関連の大会や行事で行動を共にすることも多々ありました。

   N氏のご親族には地元でも有名な神社の宮司を務める方がおられ、自身でも宗教的でスピリチュアルな活動をされているようでした。その詳細についてお聞きしたことはないですが、伝統的な神秘行に関わる家系に生まれついた方のようです。

 夢の中での大会取材も一段落。このあと、お茶でも飲んで演武大会を振り返えようかと思っていると、N氏から「いい店が近くにあるよ」と、お茶に誘われました。

  その店は、南国リゾートにあるようなお洒落なカフェで、二階にあるオープンテラスのカウンター席に腰を落ち着かせました。カフェのテラス席は南に面して、その先には海岸か大きな河岸かあり、晴れ晴れとした青空が広がっています。テラス席の下には古びた商店街があって、まばらな人通りがあります。時刻は太陽が西に傾きかけた夕暮れ前の遅い午後のようでした。

  オープンテラスのカウンター席、小生の左隣にN氏が座っています。右隣の角席を見ると、なんと亡き師が座っています。紺色のアロハシャツを着て、薄っすらと日焼けして精悍そうな様子でした。生前、最後に会ったのは10年ほど前で、その時のままでした。師匠は南国リゾートで永遠の休暇を満喫しているといった感じです。リラックス気分でアイスティーを飲みながら歓談した後、お開きとなりました。

    別れ際、師匠に「また日をあらためてお会いできますか?」という問いに、師匠は「うむ、そうだね‥」と言葉を濁らせていました。

【不思議な夢の考察】

   というのが小生の見た不思議な夢の全容です。小生が亡くなった近親者の夢を見るのは、これが三回目です。ただ、今回の夢は故人の逝去を知ってから、それほど日が経っていないこと。夢の中で故人と会うことに介添えをしてくれた方がいたこと。過去に見た同様の夢とは異なる条件がありました。ただ、今回の夢では亡き師の心からの配慮が感じられ、ただただ感謝しております。あらためてご冥福をお祈り申し上げます。

   ネット上でも「あの世の手前、三途の河原にはスターバックスがある」とか、あの世とこの世の境目にカフェや茶店があって、冥土への旅路につく亡者たちの憩いの場があると噂されておりますな。

年明け早々、新たな企画を立ち上げてみました。小生が心に抱えた重荷も、ネット上で公表して同好諸氏の皆様と共有すれば、自ずと軽くなるのでありますな~ 

 この新企画シリーズを不定期で続けたいと存じます。宜しくお付き合いのほど‥

         

ねこ文士

 

 

 

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謹賀新年 令和八年丙午

丙午

 あけましておめでとうございます。本年も当ブログをご愛顧くださいますよう宜しくお願い申し上げます。
  いつも当ブログをご高覧いただき誠にありがとうございます。私事でありますが、小生は今年で還暦を迎えます。
  つまり「丙午の年男」でありまして、齢60を迎える「かなりディープなオタク」で、なんか面倒くさそうなオジさんなのでありますな‥
ということで「丙午の年」に生まれた人って、「ある意味、規格外で破天荒なキャラの特異な人柄」なのかもしれませんな~


 中国の北宋時代、この年には火災が多いと信じられ、丙午を凶歳とする説が広まりました。俗に「丙午年生まれの女性は気性が激しく、夫の命を縮める」とされ、なんの根拠もない迷信が根付いていました。

  江戸時代初期にも「丙午の年には火災が多い」とされ、これは井原西鶴の『好色五人女』で恋焦がれた思い人に会いたいがために少女が放火を犯すという物語に登場する八百屋お七が丙午の生まれだとされたことに由来しています。
60年前の丙午1966年(昭和41年)、日本では「丙午の迷信」の影響で出生数が約136万人と前年に比べ大きく落ち込んでいます。この年の1月には、米空軍のB-52爆撃機がスペインのパロマレス沖でKC-135空中給油機と衝突、核兵器を搭載したまま墜落するというブロークンアロー(米国防総省コードネーム;核兵器紛失重大事案)が発生しています。6月には、 ビートルズが来日して日本武道館で6月30日から3日間公演が行われました。なお6月30日 に 袴田事件静岡県清水市の味噌製造会社専務宅での放火・殺人事件)が発生しています。この年は世界的に航空機事故が多発しましたda。
 240年前の丙午1786年(天明6年)、第10代将軍の徳川家治薨去御三卿の一橋家から養子を迎え家斉が第11代将軍を継ぎます。それまで幕政を牛耳っていた田沼意次が老中を解任され失脚します。この件は2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重絢爛譚〜』で、代将軍家斉の実父で一橋家当主の徳川治済が傀儡師(くぐつし)のように影のフィクサーとして幕府を裏で操ろうとしていたと面白おかしく描かれております。

  今年一年も波乱な丙午となるやもしれませんが、なにとぞお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

 

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取材後記「明治神宮奉納 日本古武道振興会創立90周年記念演武大会」 人知を超える不可思議な力?に導かれ‥

蔵院流高田派槍術

 いつも当ブログを閲覧いただき御礼申し上げます。
今秋の11月3日(祝)に明治神宮祭礼で開催された「日本古武道振興会創立90周年記念演武大会」の取材出張の顛末を綴ります。今回の取材出張は、小生にとって波乱万丈でありました。そして、人知を超える不可思議な力に導かれた神妙な取材出張だったように強く感じました。
 本大会の日程は11月初旬三連休の祝日「文化の日」、この日は明治天皇の誕生日で明治神宮「秋の大祭」例祭が執り行われています。本大会は奉納行事「明治神宮奉納 日本古武道大会」として例年行われ、小生は今回21年ぶりの取材となります。
取材出張の前乗りは連休を避けて31日(金)の昼頃に上京。秋の旅行シーズンに加えハロウィンの影響もありLCCの航空券予約は困難と思いきや、どういうわけか往復便を今までの最安値で予約Getできました。ラッキー!というか、なんか不思議?というか‥


【大会前日;古巣の道場を訪れ、恩師の逝去を知る】
 大会前日の日曜、世田谷区太子堂にある小生が若い頃に通っていた杖道の道場を訪れました。今回は20年ぶりの訪問となります。古巣の道場は古い剣道場を借りて毎週日曜の午前に稽古が行われています。稽古が始まる少し前に道場の入り口で旧知の稽古仲間と再会、突然の来訪でしたが快く歓迎されました。
道場の奥に椅子が一脚置かれ、その上には恩師の遺影が安置されていました。聞けば、今春4月に急逝されたとのこと。亡くなる直前の日曜には、普段と変わらず稽古指導をされておられたそうです。恩師の逝去を知った小生は泣き崩れ、遺影の前で不義理を詫びました。


【大会当日;正月の初詣のような人混みの明治神宮西参道】
  「秋の大祭」例祭の明治神宮では早朝から様々な奉納行事が行われます。
 小生は大会開始前に本殿で参拝を済ませ、会場がある西参道沿いの芝地で古流武術文化研究會の会員2名と合流しました。今春2月に日本武道館で開催された「日本古武道演武大会」以来の再会です。そのあと大会本部テントに赴き、大会実行委員長に挨拶しました。
 会場付近では本大会のほかに「合気道演武・光輪洞合気道」、「流鏑馬・大日本弓馬会」の三つの奉納行事が開催されます。時間を追うごとに西参道沿いの芝地には観覧客が続々と押し寄せてきます。正月の初詣を思わせるような大規模な人混みで、三つの奉納行事会場の観覧スペースは数万人にも及ぶ大観衆で埋め尽くされました。
祭礼の参拝客のほかインバウンドでの海外からの外国人観光客が加わり、例年にない大規模な観衆の来場で大会は大いに盛り上がっていました。今回の予想を遥かに超える観客動員数に関係者も戸惑っていたようです。本大会を含め例祭の奉納行事は、古式ゆかしい伝統文化に魅了された群衆の大感動のなか午後3時頃までに全て閉幕となり無事終わりました。
 今回は日本古武道振興会の皆様に多大なご配慮を賜りありがとうございました。


【大会翌日;秘伝編集部を表敬訪問】
 翌日の11月4日(火)、小生は研究會会員S氏とともに渋谷区笹塚にあるBABジャパンを訪れました。いつもお世話になっている月刊秘伝を制作される秘伝編集部の皆様にご挨拶に伺いました。小生、秘伝編集部を訪れるのは実に14年ぶりとなります。今回。久々に旧交を温めることができて感激しました。編集部の皆様のご配慮に感謝!

あらためて今回の取材出張を振り返ると、涙あり、感動あり、波乱に満ちた実り多い上京でありました。ところどころで不可思議なことも多く、機会があれば詳しくお話ししたいと思います。吉凶禍福、人間万事塞翁が馬(禍転じて福となる)‥今回の取材出張は天地人の摂理に導かれた必然な事だったのかもしれませんな~

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関口新心流

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無比無敵流杖術・為我流派勝新流柔術

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古流武術文化研究會の頒布資料

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日本最古の古武道演武大会

 暑い夏が長く続いたかと思えば、いきなり肌寒い晩秋となった今日この頃‥

季節の移り変わりが激し過ぎて、体調を崩してしまいがちな神無月であります。

  さて、来る11月3日(祝)に明治神宮「秋の大祭」で恒例の奉納行事として行われている「明治神宮奉納 日本古武道大会」が開催されます。

 今回、小生も21年ぶりに本大会を取材する予定です。今回は主催団体の日本古武道振興会創立90周年の記念大会として開催されるとのことです。日本古武道振興会は昭和10年に、内務官僚出身の貴族院議員である松本学氏の提唱により設立された古武道専門団体であります。

 設立の昭和10年には、東京の日比谷公会堂、横浜伊勢山皇大神宮鹿島神宮香取神宮において「奉納古武道大會」を挙行し、研究書『日本武道流祖傳』を上梓しています。当時、学校教育などを通して国民一般に普及していた柔道・剣道や薙刀などとは異なる旧来の様式を保存継承する古武道という概念がすでに確立されていたのであります。

 当時、中国大陸で満州事変が勃発、日本が国際連盟から脱退、冷害不作により農村が困窮、日本は不穏な世情の真っ只中にありました。日本武道が広く世界に普及すればスポーツ化や競技化が進み、幾世代にわたり培われてきた日本武道精神が損なわれてしまうことを危惧した当時の有識者たちが、日本の伝統文化遺産といえる古武道の振興活動へ献身的に取り組む真摯な姿が窺えます。

 さて、明治神宮「秋の大祭」で恒例の奉納行事として例年行われてきた「明治神宮奉納 古武道大会」は、昭和5年11月3日・4日に明治神宮鎮座十年祭において開催された「奉納古武道形大會」が前身であるようです。この大会は明治神宮境内の施設および日比谷公会堂など4会場で武芸十八般を網羅する日本武道数十流派が一堂に会する大規模な演武大会であったようです。おそらく日本古武道振興会の設立構想もこのときに明確化されだものと思われます。

 終戦後、日本の武道界は暫らく活動休止を余儀なくされていました。日本の主権回復・戦後復興とともに日本古武道振興会は活動を再開し、本大会も明治神宮祭礼の奉納行事として例年執り行われ今日に至っております。 

実に昭和初期から連綿と開催され続けてきた日本最古の古武道演武大会なのです。

 

 2004年発行の札幌古流武術研究會’(現:古流武術文化研究會)會報『古流武術と傳統武道』第10号に記事掲載された「明治神宮奉納 日本古武道大会」の詳報。

 

昭和5年11月3日・4日に開催された「明治神宮鎮座十年祭 奉納武道形大會」要覧

 

 

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 WEB秘伝「明治神宮奉納 日本古武道大会2024」で
大会概況の動画が見られます。




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